昭和3年春 | 大谷清氏カラタチ苗木 300本を植付。 9月リスボンユーレカレモンの芽接ぎを行う。 |
昭和9年春 | レモン育苗5000本を計画。 |
昭和11年春 | 苗木生産され福田、垂水地区へ植付。通称「レモンの谷」へ増殖。 |
昭和12年夏 | 日支事変勃発。アメリカ産レモン輸入禁止。国産レモン需要拡大。 |
昭和24年 | レモンブーム到来! |
昭和38年 | レモン、ネーブルの高値時代。レモン谷最盛期。瀬戸田町がレモンの生産量日本一の産地となる。(年間約900t) |
昭和39年 | 輸入レモンの自由化が政策決定され、国産レモンの生産量が著しく減少。 |
昭和50年 | 輸入レモンに使用されている農薬から発がん性物質が認められ、国産レモンの安全性が見直される。 |
昭和57年 | 瀬戸田全島を挙げてのレモン増殖運動を展開。日本でいち早く、レモン産地としての復活を遂げる。 |
平成21年 | 年間生産量約2600t(農林水産省統計)は、輸入レモン自由化前の最盛期と比較して3倍強。国産レモンの約28%を生産。 |